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雑感 (2002/12/01)

手打ちと自動


私は、電鍵は縦振りとバグキーが好きで、よく使う。エレキーも使うし、コンテストともなるとエレキーの出番はさすがに多い。しかし、いざここ一番、という場面では、縦振りかバグキーである。ここ一番、という場面と言ってもいろいろあるが、たとえば移動運用の時。もちろん、電鍵をそろえて持っていけるときはいいが、大抵の場合、なにかの旅行やドライブついでに、CW「も」運用してみるといった場面が多い。出来ればCW運用を第一の目的として旅行してみたいものだが。おっと、話がそれたが、要するに、かさばる、あるいは重い電鍵を、そうそう何台も持っていけない。こんな時はバグキー1本か縦振り1本である。え、エレキーのほうが軽い? ま、そりゃRIG内蔵式ならそうだけど。あいにくと、移動運用用のRIGにはエレキーは内蔵していないのである。内蔵していたら、やはりパドルも持っていくかもしれない。でも縦振りは持っていく。

というわけで、電鍵に関しては自動式よりは手動式の方が好きなのである。分野違いのカメラでも、やはり同様で、フルマニュアルの一眼レフに尽きる。もちろん、露出・焦点フルオートのズームカメラも持っているし、これだけを連れて海外旅行にも行っているし、そこそこきれいな写真も撮れるが、やはり大事な写真はメインのマシンで撮る。

一方、車はと言うと、これがまたオートマチック派である。だが「車は動けばいい」派というわけでもない。車は好きである。ドライブが好き。一日の最高走行距離800km、1週間で3000km、渋滞で朝04:00出発で19:30目的地着、とか。・・・深追いしないが、こと車に関してはAT。


話を電鍵に戻すと、最近、入門者に対してはエレキーからの入門を勧める声をよく聞く。私はこれに関しては違う思いを抱いているが、さりとてそうせざるを得ない現状も理解している。まず第一に、若者の参入が減った。私が入門した高校生の頃は、けっこう同年代の10代の人とワブンでおしゃべりしたものだ。私の電波をよく聞いていて、ライセンスを取ったらぜひQSOしたいと思っていた、という方もいたし、偶然、私のシャックの近所にいる親戚にたまたま遊びに来ていた人がうちのアンテナを見て、ああここがいつも(ワブンで)おしゃべりするあの局か、と飛び込みでアイボールとなった方とか、あるいは年齢を送るコンテストなどでも10代のナンバーもけっこういたものだ。それが、いまや前途ある若者は別の方に走っている。もちろんCW世界に足を踏み外す若者もいるに違いないが、おそらくどんな調査をやってもごく少数派であろう。

若いときは、これは私自身の実感としてでもあるが、飲み込みが早く上達も早い。最適訓練年齢があるとしたら、CWは間違いなく10代である。20代になるともういけない。30代40代・・・でますます適応力が低下していく。60代、70代で初めて電鍵をマスターしようとする方々には本当に頭が下がる。10代の時の100倍も1000倍も努力が必要と思われる。そんな環境で、まずは手軽にCWの楽しさを享受しようとするなら、エレキーという選択肢もやむを得ないと思うのである。

10代の人が初めて電鍵の練習を始めるというのなら、また日々練習を見てくれる先輩がいるのなら、ここはぜひ縦振りでやってもらいたい。しかしなかなかそうは行かないというのが現状である。私の場合は、高校のクラブ局という環境で、日々電鍵操作を見てくれる先輩がいた。もちろん、正式の電鍵操作の指導法の教育を受けた教官ではない。しかし、電鍵操作の結果の善し悪しはすぐにばれる。フィードバックが速攻で現れるのである。自発的にしろ、他発的(?)にしろ。疲れない、正確、間違えない、長続き、高速、といったキーワードで表現できる。長時間、高速で縦振りだけでのコンテスト参戦、これが出来なければ自然淘汰される。・・・ような環境だった。もっとも、コンテストでは、ちょっと調子が落ちてくると交代要員の方から「俺によこせ」と言ってくるので、そうはさせじとガンバルのであるが。孤立無援の電波だけの交流世界では、縦振りだけでCW界を渡っていこうというのは、相当の気合いと努力が必要ではないだろうか。

第二に、やはり世の中すべての傾向として、自動化、お手軽化、こざっぱりときれいに化、誰がやっても同じマニュアル化、といったキーワードで表されるようなことであろうか。エレキーなら、とりあえずそこそこ正確に、そして楽にCW符号を送信できてしまう。もちろんエレキーといえども練習は必要だが、縦振りのような気合いを入れた長時間の練習は不要だ。いや、エレキーだって奥は深いが、初心者のうちはその奥行きを理解しているかどうかにかかわらず、そこそこのレベルに達してしまう。そしてそれなりに楽しめてしまうのである。

カメラで言えば、日差しが強い日中では1/250にして絞りは・・・とか、ちょっと曇ってきたので1/60にしてみて、絞りもちょっと開けて・・・といった事を考える必要もないし、焦点の調整も自動でやってくれるし、フルオートのカメラでは露出のとんでもない失敗というのはまずない。ピントだけはまだまだ不完全で、現像上がりでピンぼけ写真の一枚や二枚は混ざっているものだが。もっとも、デジカメになってすぐその場で確認できるようになって、それも解消か。

ちょっと話は飛んで、ワープロが世の中に出回り始めたとき、手紙をワープロでプリントしたものを送られてがっかりしたとか、やはり手書きでなければ心がこもっていないように見える、だとか言われたものだ。手書きの文字は人それぞれ、読みにくい字を書く人もいれば端正な字を書く人もいるし、もちろん美しい字を書く人も。整った字を書けない人は、ワープロの出現を喜んだ。小生もその一人。人様に見せるような字ではない。hi。一応、他人様でも読める字を書いているとは思うのだが。ワープロ(もちろん、今ではパソコンで書くもの全般)が手軽に利用できるようになって、今まで「やむを得ず」手書きでやっていたようなところはワープロに置き換わった。手軽に正確な文字が書けるからである。

エレキーの使用にも同じようなことが言えないだろうか。手軽に利用できる。そこそこ正確に打ち出せる。・・・・これでは使うなと言う方が無理な話だ。文字が、単なる情報伝達の手段として存在するのなら、それでもいい。


BT

書道とワープロ、フルマニュアル一眼レフとフルオートカメラ、マニュアルシフトとAT、こう並べてみると、
縦振りとエレキーの違いについて、共通部分・共通目的と、異なる部分が見えてこないだろうか?

カメラを始めるのに、フルマニュアルの一眼レフをマスターしてからフルオートをやるべきだ、とは誰も言うまい。達人の書いた書の美しさはわかるが、それを目指して日々、すべて手書きで行うべし、とは言わない。それぞれの分野で、共通目的を持ちながら異なる部分の価値観が違うのである。どちらが先でその次にもう一方、というのではない。しかし、楽しみ方の違いはある。達成感の違いもある。フルオートのカメラでぱしゃぱしゃ撮っても、一眼レフでぱしゃぱしゃ撮っても、できあがりにはそう違いはない。だが満足感は違う。マニュアルの一眼レフカメラでは、100枚のうち1、2枚は、フルオートでは撮れない、または非常に困難な写真をさりげなく撮っているのである。

プリンターで印刷された年賀状よりは、手書き文字のほうが、ほのぼのした感じをうけ、印象に残る。その字を覚えているような相手ならなおさらだ。名前を見なくても誰から来たかわかる。・・・・とわかっているが残念ながら小生はもう何年も前から印刷派である。為念。SRI。


エレキーから始めると、縦振りの困難さの壁をうち崩すのは容易ではない、と思う。まして「縦振りが楽しい」領域にたどり着けるのかどうか。縦振りの楽しさは、下手でもいい、楽器を自分で演奏する楽しさに似ている。性能が悪くてもいい、見てくれが貧弱でもいい、自分で作った機械で交信する楽しさにも通じる。もちろん、音楽にしてもRIGにしても、既製品を使う楽しさ(音楽の場合は単に聞く、となるか)ももちろんあるし、それだけでも十分、と考えてもいい。だが、と、ここで繰り返すが、楽しさの種類が違う。その楽しさを多くの人に楽しんでもらいたいと思う。


あえて蛇足を付け加えると、縦振りでせめて150字/分でも安定してきれいに打てたら、エレキー不要論を書いたかもしれない。残念ながら、その領域には達する望みはない。

もうひとつ蛇足になるが、小生が縦振りでクラブ局からコンテストに参戦しているとき、ローカルの別のクラブ局のメンバーが陣中見舞いにやってきた。「どんなエレキー使ってる?」と聞かれ、「いやこれ(縦振り)だけで・・・」。信じてくれたかどうかわからないが、1968年あたりの実話である。単なる昔話の自慢話、と繰り返し聞かされるほうでは評判悪いが(hi)、実話なんだからしょうがない。