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雑記

受験の記憶、その3

2005/03/27-2


どうやら、1〜3アマの通信術の試験が簡単になるらしい。1アマは既に和文がなくなって久しい。また痩身術ラタ送信術もいつのまにかなくなっている。だんだん試験は簡単に、という世の中の流れだろうか。もっとも、試験に合格したからといって、すぐ実用になる技能か、とは言えないことは、昔の、今より難しかった試験を通っていてもよく分かっている。おそらく、他のどんな分野でも似たり寄ったりであろう。そのあたりをつつくのはまたの機会にして、ちょっと記憶が抹消されないうちに、私が受けた試験の様子を書いておこう。まぁ何かの役に立つというようなものではないが。(この部分、再掲)

(「その1、電信級アマチュア無線技士受験 1967年10月期」へのリンク)
(「その2、第2級アマチュア無線技士受験 1968年10月期」へのリンク)



その3 第1級アマチュア無線技士受験 1968年 10月期(ここから本文)


さて、アマチュア無線技士国家試験受験記憶の最後である。

この時の受験に際し、2,3の「事件」があったので、記憶が鮮明に残っている部分が多い。


前の期、1968年4月期には、JA7YAFからは私一人、2アマを受けに行って玉砕した。hi

その轍を踏まぬよう、用意周到準備万端、今度は学科もぬかりなく、学校の勉強そっちのけで(とはちと強調気味であるが・・・。一応、大学受験校だしね)勉強した。今度は4文字合格は許されない。かといって3文字結果はもっと許されない、と自分に課した。

通信術は問題なかった。ワブンチャットも普通にやっていた。普段はいわゆる暗記受信、というか、たまには書いたりもするが、高速和文は書いている暇がなく、耳で聞くだけで会話できていた。しかし、受験ではそうはいかず、書き取りも訓練しており、問題ないことは確認済みだった。実際に試験会場で実力が発揮できるか、は永遠の課題であるが、試験レベルに対し多少の余裕があれば、多少のことがあってもなんとかなる。・・・これは実は送信試験で大いに役立った。多少どころではない余裕が必要だった。後で書く。

今度はJA7YAF仲間3人と一緒である。


学科試験。

電波法規と無線工学。電波法規は、だいたいが既出問題で、問題集を丹念に読んでおけばなにかしら頭に残っているものである。「すみやかに」とか、何日以内に、といった数字を記憶していれば、あとはだいたい常識的に考えていれば当たり前の法律になっている。この時も、法規の試験問題の記憶が全くない。すなわち「想定の範囲内」(注、2005/03時点の世相の流行語)。


無線工学。こいつでは、私は完全に80点であった。5問中、4問は完全に理解して回答を書き、もう1問は全く分からなくて違う答えを書いた。まぁ合格したから良いが。試験後、その問題の答えはすぐに分かった。「スリーブアンテナについて記せ」。これが問題。既出問題だったらしいが、既出問題集をパラパラとめくって眺めた程度では目に止まらなかったらしい。とにかく、「スリーブアンテナ」という言葉に記憶がなかった。で、何かは書いた。ま、その部分は当然0点だったろう。



通信術。

まず受信試験である。会場の雰囲気は、前の受験と似たようなもの。さすがに受験者が少ないので、人口密度は低いようだ。

欧文試験と和文試験。ほとんど間を置かず、引き続いて実施されたように記憶している。欧文が先だったか。

この時の欧文は、単語の切れ目もわかりやすく、充分文章として読み取りながら書けたような気がする。記憶が薄いと言うことはあまり問題がなかったせいか。


さぁ和文試験である。

この時も、私のレベルは問題なかったと思っていた。しかし実際は受験ということで、相当にレベルが低下していたらしい。何を打っているか、どんなことについて打っているか、聞き取れなかった。それはは、試験後にYAFの仲間と話して、最初の出だしでつまづいたせいだと分かった。

私の書いた回答用紙の出だしはこうである:「インテル、ツト2ゴウ・・・」。インテル、入ってるの時代はまだまだ先の話である。インテルってなんだ?と頭の中でぐるぐる発振したらしい。ツト2ゴウってなんだ???

正解は・・・・「インテルサット2ゴウ・・・」。「サ」を「、」と間違えたらしい。いやはや。しかし合格した。



送信試験の部。

電信級、2アマと受けているのでもう3回目、手慣れたもの。さっと電鍵を自分の打ちやすいように調整。このころになると、自分のスタイルが固定し、誰から何を言われようと動じない状況になっている。目の前にいるのが試験官でも。打てりゃいい。それでいい。HIHI

欧文の送信は、なんなく済ませた。60字/分の規定速度に対し、倍とは言わないが、まぁそれに近い速度で打ち上げた。なんといっても、ローカル局から「どんなエレキーを使っている・・?」と聞かれたほどの縦振り電鍵操作である。問題なし。

いざ和文。

ここで問題発生。いや、さっきの受信試験の時に気がついていたが、和文は縦書きなのである。

いままで和文も欧文も、横書きでしか練習してこなかった。それでも受信の書き取りは、原稿ますになんとか縦書きで埋めていった。

送信の電文が縦書きで来た。当然、縦だろうが斜めだろうが読めるし打てる。軽快に打ち出した。
「・・・・ ・−・ ・・・・ ・−・ −・・−−−  、、、」

2,3行打っていき中盤にさしかかり次の行に目を移したとたん、行がどこだか分からなくなった。

あせった。脂汗が出てきた。縦書きが、こんなにも読みにくいとは思わなかった。行を飛ばすと脱字、同じ行を打つと冗字、どっちにころんでも減点が大きい。電鍵を打つ手が止まった。このまま打たないと送信文字数不足の減点。進退窮まった。しばし熟考。さっきまで打っていた文章を思い出し、アタリをつけた行を目で追う。たしかここまでは打った記憶があるな・・・・すると次はここか・・・・。

ええええい、ままよ、と、ここと思った行頭から打ち出した。猛烈に速度を上げて。なにしろ電鍵を打つ手を止めて再読みしたのである。ロスタイムが何秒あったのか何十秒であったのか、考えている余裕はなかった。全部の文字を打ち切れないと字数不足の減点。50字/分の、倍は出した。全力疾走。


・・・最後まで打ち終わった。

・・・つかれた。




結果は・・・2アマの雪辱を果たした。他の3人は玉砕した。JA7YAFで一人だけ、1アマになった。


ライセンス番号は、ISH-**。JA7エリアでこの年1アマになったのは、4月期、10月期あわせて30人いたかどうか、というころのお話である。